過去ログ(2006.12.13〜2007.11.02)百件
2007年07月09日 「南京事件FAQ」にネトウヨバリアーが(笑)
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間違った自動車工学知識で右往左往していた某の掲示板を善意で訂正してあげたら、巣食っていた
「ボス猿の取り巻き」に追い払われました(笑)。
んで、暇が出来た(仕事しろよ)ので、当日記「2007年06月11日 痛いニュースのコメント欄より南
京事件に関するF&A 」を流し読んでいて、ふと
258. Posted by 2007年06月10日 16:30
ところで↓を見てくれ。こいつをどう思う?
南京事件FAQ
ttp://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage
をクリックしてみたところ...なんと!
プライベート認証
「南京事件FAQ」は特定のメンバーのみご覧になれます。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/login/login
ってヲイヲイ。
ネトウヨバリアーが貼られてるじゃん(笑)。
あのさ。
自説が揺らいでいるなら採るべきは、
「反論を論破」か「反論を受け入れて自説を撤回」の二者択一でしょ?
自説を支持してくれるサヨ仲間同士だけ集まって「やっぱり南京大虐殺は在ったんだよね〜」「そうだ
よね〜、『南京の人口は当時20万人なのに30万人も殺せるわけがない。 ゆえに南京大虐殺は虚構
だ』とか言ってるヤツは馬鹿だよね〜。 人口20万人は日本軍侵攻後の安全区の人口だから前提が
間違ってるんだよね〜。 前提の適用も正しくないよね〜」(←圭坊の想像)とか言って慰め合ってどう
すんですか。
それは、史実派の敗北宣言と同じじゃないですか。
某メーリングや某掲示板と言い、どうして「自説が間違っている可能性」を微塵も疑わないかな?
「南京安全区の20万人は『虐殺に遭わなかった“生き残り”の人たち』。 実際は、安全区外で30万
人が殺された。」と仮説付けるなら、それはそれでちゃんとした主張なんだから。
内輪に篭ったら、その時点で敗北決定ですよ。
もっとも、その説を出した瞬間に
「逃走可能な安全区外にも関わらず、(飲まず食わずで)2ヶ月間も掛けて殺される順番を待ち続けた
中国人」という切り返しを食らうのは火を見るより明らかだが(笑)。
他にも南京事件FAQ(http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/nankin_faq.html)があったので、コッチを弄
ってみることにしよう。
Q1
日本軍は30万人殺したと言うが、当時の南京の人口は16〜25万人である。30万人も殺せるはずが
ない。
A1
30万というのは南京攻略戦だけでなく、上海事変に派遣された日本軍が,参謀本部の命令を無視し
て南京まで攻めのぼった過程全体で死亡した将兵を含めての数字であって、南京占領後の敗残兵狩
りで殺害された人数ではない。
ポイント
(1)30万人説しか言わない相手は信用しない。
(2)実証的な研究がすでに行われており、中国の主張を鵜呑みにしているというのは嘘。
Refutation(以下R)1
>「日本軍が,参謀本部の命令を無視して南京まで攻めのぼった過程全体で死亡した将兵を含めて
の数字であって、南京占領後の敗残兵狩りで殺害された人数ではない。」
兵士間の戦闘行為に伴う戦死を『虐殺』にカウントしてはならない。
凄惨な戦場であっても、「ノルマンディ大虐殺」とか「スターリングラード大虐殺」とは言わない。
『虐殺事件』には、あくまで非戦闘員が殺された数しかカウントできません。
念のために注釈。 軍服(戦闘服)を脱いで市民になりすました便衣兵はゲリラ。 非戦闘員とは
見做されません。
Q2
南京で虐殺はなかった。その証拠に日本軍が南京に入場した時の難民の数は20万で、1か月後に
は人口25万人に増えている。虐殺があったのなら、一般市民は南京に戻らないはず。
A2
(1)南京市には最初から25万人の市民が残っていた
(2)南京市に戻ってくる難民はほとんどいなかった。
R2
A2の論に従うなら、南京で30万人が殺された場合
仮説1:南京市には元々25万人が居て、殆ど殺されなかった。
仮説2:南京市には元々55万人以上が居て、その内30万人が殺された。
…のいずれかが史実ということになる。
さて、このQ17のAにラーベから日本軍へ送られた手紙として、こういう記述がある。
・一九三七年一二月二十七日
「中国軍は10万担の米(当方の3万担とは別に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は
南京占領のさい貴軍の手中に落ちました。
それで、20万市民を養うために、前記期二万担の米をわれわれが確保することを、許していただけ
るようお願いします。」
・一九三八年一月十七日
「この量が早急に日米一○○○袋に増量されて、二五万人の需要をもっとよく満たすことができるよ
うになるものと信じます。」
ところがQ4のAにあるのは
「南京での虐殺は12月13日の南京陥落から約二ヶ月間の長期間にわたって続いた。何万人も死ん
だのは虐殺がそれだけ長期間続いたため。」
12月13日から2ヶ月間も虐殺が続いたというなら、12月27日も翌年1月17日も虐
殺の真っ最中である。
しかも、この手紙は12月27日時点で20万人であり、翌年1月17日に25万人になっていると書かれてい
る。
というわけで、少なくとも仮説2は完全に自爆。
可能性があるのは、仮説1でレーベの要望した20万人分の食料という記述が「書き間違い」もしくは
「統計ミス」とであり、虐殺は南京市の外で行われていたという可能性だが・・・
南京市からちょっと外れると超弩田舎ッスよ。
逃げ放題だろ。 常識的に考えて。
Q3
日本軍は軍人と民間人を識別するために「良民票」を発行したが、その発行数は約20万で、これは
外国の機関にも確認されている数である。
つまり、南京攻略戦で一般市民はほとんど死んでいないということである。
A3
(1)民間人が多数死亡している。
これは、敗残兵を処刑した兵士自身が自覚しており、日記に書き記している。
(2)日本軍が南京で20万票を発行したという資料はどこにもない。
(3)南京場内は平静ではなかった。
平静でなかったのは、日本軍が敗残兵狩り、略奪、暴行、放火を行っていたから。
このことは東京裁判で日本の無罪を主張したパール判事でさえ認めている。
R3
(2)自爆していないか?
Aにこう書いてるよね。
「国際安全区委員会の「第19号文書」には、良民票をもらうために登録した人数は16万人としか書
いていない。
『貴下が登録した市民は16万と思いますが、それには10歳以下の子供は含まれていないし、幾
つかの地区では、年取った婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分25万から30万
だと思います。』」
日本軍が発行したのは16万票だが、高齢の婦人や子供は発行対象外なので、正味人口は25〜30
万人だと書いてるゾ。
さらにこの記述は、もう一つ他の意味も持つ。 民間人がゲリラ化する場合、性別は勿論、年齢の
老若は関係が無い。 幼い児童が腹に爆弾を巻いて自爆テロを行うことすら、紛争地域では珍しくな
い。
にも関わらず、高齢の婦人や子供を対象外としている点は、当時の南京市におけるゲリラ活動が
市民に扮した現兵士(=便衣兵)であったことを意味する。
このQ3は現在、南京大虐殺否定論者の大多数が指示する「南京事件の真相
は、ゲリラ掃討戦」を裏付けてしまっているんだが...イイのかな?
Q4
何十万人もの人間を短期間で殺すためには組織的な準備が必要である。
ナチスの収容所のような所でも、一度に殺すには限界がある。
ちなみに広島の原爆で人口30万6500人のうち24万7000人が死んだ。それに匹敵する人数を、数日
間で行うことは物理的に不可能である。
仮に東京を絨毯爆撃しても7〜8万人が限界であると考えられている。
しかし、もちろん日本軍はそのような準備はしていなかった。
A4
(1)日本軍はほんの数日で大量虐殺したのではない。
南京での虐殺は12月13日の南京陥落から約二ヶ月間の長期間にわたって続いた。
何万人も死んだのは虐殺がそれだけ長期間続いたため。
虐殺が長期間続いた事は、極東軍事裁判で日本に有利な判決を主張したパール判事でさえ認め
ている。
(2)30万人を殺すのに原爆が必要だというのは嘘。
広島の原爆で24万人も死んでいない。
広島での原爆による死亡者は以下に示すように7万人で、長崎の死亡者と合わせても10万人に
しかならない。
(3)原爆なしで何万人も殺せる。
一方通常の空爆で死亡した死者の数は、以下の通り。
何万人もの人間を殺害するのに原爆など必要ない事が判ります。
ドレスデン爆撃では広島より多くの死亡者が出ています。
原爆を使わなければ無理などというのはウソです。
R4
(1)書いた本人は気づいていないようだが、Q2とQ17のAの組み合わせで既に「南京大虐殺の被害
者は南京市内に住んでいた市民」という説が崩壊している。
したがって、いつでも逃走可能な郊外で2ヶ月間も処刑の順番を待っていたということになってしま
う。
可能か or 不可能か の二者択一で 可能 であっても、現実問題として可能とは言えない。
(2)逆に「原爆ですら1発あたり平均で5万人しか殺せない」って話でしょ。 30万人殺したという南
京大虐殺が余計に不可能っぽく見えるんだけど。
(3)銃殺や刺殺しかできなかった南京大虐殺を絨毯爆撃と比べてどうする。
・・・(2)と(3)は明らかに自爆だよなぁ・・・
Q5
南京事件は長崎と広島の原爆を正当化するために東京裁判で持ち出されたのだ。
原爆による死亡者は30万人だから、南京事件も30万人としてとアメリカは原爆投下を正当化したの
だ。
A5
(1)原爆による死亡者は10万人。
原爆による死亡者は以下に示すように東京裁判の時点で、広島と長崎を合わせても10万人にしか
ならない。
(2)東京裁判での判決は20万人
東京裁判では南京事件の虐殺数を30万としていません。
起訴状では数万人であること以外は詳細は不明と記述され、判決文では20万人と書かれていま
す。
どちらも30万人ではありません。
(3)原爆を正当化する必要がない
東京裁判は、第二次大戦に勝った連合国が敗戦国である日本を裁いているのですから、連合国
(アメリカ側)が原爆を正当化する必要は全くありませんでした。
そんな事はそもそも裁判の争点として取り上げられる訳がないからです。
R5
(2)それは中国様に言ってやれよ。30万人説(2007年現在40万人説)を謳っているのは、他でもない
中国共産党だ。
(3)裁判の争点として取り上げられなくても、非戦闘員たる民間人を大量虐殺したという事実に変わ
りはない。
原爆投下を歴史の汚点にしないため、原爆を落とされても仕方がないくらい残虐な民族であったと
いう“事実”を創りたかったであろうことは容易に推測できる。
もちろん、推測の域を出ないが。
Q6
南京事件は東京裁判ではじめて持ち出された。それまでどこのマスメディアでも報道していない。
A6
(1)南京事件は当時ほぼリアルタイムで報道されていました。
事件発生当時、NYタイムズをはじめとする外国のメディアが、南京での日本軍の蛮行を報道してい
ました。
報道されなかったのは日本だけ。
R5
(1)日本軍の蛮行について報じられてはいるが、数十万単位の虐殺について報じられたワケではな
い。
Q7
日本軍が南京に入場した直後に日本の新聞記者らが南京に入場している。
その新聞記者らは虐殺を目撃していない。本当に虐殺があったのなら目撃しているはず。
A7
実際に目撃している。
毎日新聞の佐藤記者の手記に当時目撃した虐殺が記されている。
R7
R6に同じ。便衣兵の処刑を目撃した可能性が高い。
Q8
南京で略奪を行ったのは中国兵で、日本兵ではない。
アメリカの副領事(エスピー)が作成したエスピー報告書で、南京の中国兵が略奪を働いていると書
いている。
A8
(1)これも否定派がよく使うトリックの一つ。
トリックの手法は二つあって、実際のエスピー報告書には、南京落城前と落城後の両方の略奪が
記述されている(下参照)が、否定派は南京市陥落前の中国兵の略奪だけを引用する(都合の悪い事
実を伏せてしまう)。
もう一つのトリックは時刻のすり替えで、「南京攻略前」の略奪を「南京略奪後」の略奪にすり替えて
しまう。
(2)エスピー報告書では、日本兵の略奪の方が酷いと書かれている
実際のエスピー報告書では、中国兵の略奪が落城直前にあった事を認めた上で、日本軍の略奪
はそれとは比べものにもならないくらい酷い(「恐怖政治がいよいよ本式に始まりたり」)と非難してい
る。
(3)日本兵が略奪を働いていたことを日本軍自身が認めています。
日本軍が略奪を働いていたことを、しかも略奪を働いていたのは日本兵だけでなく将校までもが行
っていたため、誰も止められないことを第十六師団の中島師団長や上海派遣軍の飯沼参謀長が当時
の日誌に書き残しています。
R8
規律の乱れた日本軍が略奪を行った可能性はある。
しかし、それは『南京大虐殺の証拠』にはならない。 何万件の報告があろうともそれが示すのは、
『南京大略奪の証拠』にしかならない。
Q9
大量に死体を放置しておけば当然伝染病が発生する。
日本軍は南京を占領するつもりだったのでわざわざ伝染病を流行らせるために殺害するはずがな
い。
A8
working
R8
工事中かよ!
Q10
日本軍が貴重な銃弾を抵抗能力のない捕虜に対して無駄遣いするはずがない。
また石油をかけて殺したという話もあるが、当時は「石油の一滴は血の一滴」と言われており、これも
また考えられない話である。
A10
(1)日中戦争当時日本は石油に不自由していません。
(2)日中戦争当時、日本はアメリカから石油を輸入していました。
R10
でも、死体を焼いて骨にするために大量の燃料を消費するのも事実。
史実派は、石油の消費量が急増したデータを提示する必要がある。
また、「本軍が貴重な銃弾を抵抗能力のない捕虜に対して無駄遣いするはずがない」の方は華麗に
スルーされていますね(笑)。
不都合な話は聞こえませんか?
Q11
欧米の外交団や反日的なキリスト教牧師や大学教授,ジャーナリストが南京城内に残っていたので、
司令官の松井石根大将は細心の注意を払っていた。
近くにある中国革命の父・孫文の墓を荒らさぬことまで気に掛けていた
A11
working
R11
工事中かよ!
Q12
軍需品や必要な食料を占領地域から徴収することは国際法上合法である。日本軍のやった事は略
奪ではない。
A12
working
R12
工事中かよ!
てゆーか、略奪があろうがなかろうが、そんなものは、『南京大虐殺』自体の証拠にならないんだが。
Q13
東京裁判で初めてこの事件が公にされたが、証人のマギー牧師が実際に見た殺人事件はたった1
件で、しかもそれは被害者が警備兵に誰何(すいか)されて逃げたからであった。
誰何して逃げれば味方でも殺すのが戦時国際法の措置である。
それ以外の彼の証言は伝聞,噂話,憶測ばかりであった。
A13
working
R13
工事中かよ!
Q14
日本軍が殺害した中国兵は制服を脱ぎ捨てた便衣兵だ。
便衣兵は国際法で禁止されているから、日本軍が中国兵をは殺害しても合法である。
A14
working
R14
工事中かよ!
てゆーか、こんな大切なQが後回しでイイのか?
ネトウヨはこの説を以って、「南京事件は合法」という論を展開しているのに。
Q16
当時、支那事変のニュースを送っていた欧米の通信社も本国に「大虐殺」事件を打電していない。
南京大虐殺が本当にあったのなら、大ニュースとして報道されているはずだ。
A16
(1)南京事件は大ニュースとして報道されています。
R16
(1)大量虐殺を目撃した記事が一件も無いんだが。
人を殺した目撃談が『南京大虐殺の証拠』になるんだと…まさか本気で言ってないよな?
Q17
南京は国際都市で、非戦闘員を集めた「安全区」があり、欧米人が管理していた。
当時日本に反感を持っていた米,英,仏も外交的な抗議を行ってはいないし、「安全区」を砲撃せ
ず、院長の病院に肉などの食料を贈った日本軍の行為に対して安全区委員長のラーベは感謝状まで
贈っている。
A17
(1)ラーベが感謝状など送っていません。
ラーベらが実際に日本軍に渡したのは以下のような抗議文です。
安全区を砲撃しなかったことは抗議文の冒頭に置かれた外交辞令にすぎないことがよく分かりま
す。
(2)日本軍は病院に肉など送っていません。
それどころか、以下に示すように安全委員会が食料を調達することを邪魔していました。
R17
これらの何処が『南京大虐殺の証拠』なの?
Q18
蒋介石は南京での出来事を国際連盟に訴えていない。
他の問題で日本を非難した国際連盟が、南京大虐殺を非難していない。
A18
working
R18
工事中かよ!
Q19
南京防衛軍の唐生智将軍は市民や将兵を置き去りにして逃亡してしまった。
南京占領時の中国兵捕虜への殺害の責任は国民党政府にある。
A19
working
R19
工事中かよ!
Q20
ラーベの日記は一次資料ではない。
三等資料であるのから、資料として信用できない。
A20
これも否定派がよくつかうトリック一つです。
ラーベの日記というのは、南京に設けられてた国際安全区委員会の委員長(責任者)であるジョン・
ラーベがつけていた日記のことです。
日本では「南京の真実」という題で刊行されています。
(1)これは南京にいたラーベが当時書き残した残したものなので、当然一次資料です。
(2)内藤智秀氏の「史学概論」の史学概論によると、歴史資料は取り扱いの便宜上以下のように分
類されます。
この分類によると、ラーベの日記は一等資料か、譲っても二等資料です。間違っても三等資料には
入りません。
(3)一等資料から三等資料までは「根本資料」として扱われます。
明らかに重要資料としてのランクです。三等資料だから信用できないと言う理屈はどこにもありませ
ん。
R20
ラーベの立場は? ラーベの立場は問題にならないの?
てゆーか、どのみち何処にも『南京大虐殺の証拠』になる報告は無いんだけどサ。
Q21
左翼が30万人説を主張してきた。左翼は南京大虐殺を実証的に研究する事をしてこなかった。
A21
working
R21
工事中かよ!
Q22
「戦争とは何か」を書いたティンパーリは蒋介石のスパイだった。
「戦争とは何か」も国民党政府に依頼されて書いたのである。
それが証拠にティンパーリは東京裁判で南京事件の証人として証言しなかったではないか。
A22
working
R22
工事中かよ!
...で、FAQは終わり。
え? 終わりなの? マジで?
ただの一箇所すらも、「『南京大虐殺』が史実かもれない可能性」すら示せていないじゃないですか!
駄目だ、こりゃ。
んで、ついでに似たようなFAQがないかと探したんだけど、さすがに30万人虐殺説を指示した上での
FAQってのは、他にありませんでした。
(当時のジャーナリストが、日本軍が処刑した場面や略奪を働いた場面を書き留めた記事を「南京大
虐殺の証拠だッ!」って書いてるマヌケなサイトは山のようにありましたが)
その代わりにオモシロイものを発見♪
対抗言論のページ(http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/)
→ 南京大虐殺関連資料集(http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.
htm)
→ 村瀬守保氏の写真と記録(http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/
murase.htm)より
「(写真キャプション)ある部落で昼食の大休止の時、逃げ遅れた老人と子供が、
恐怖におののきながら部屋の奥に身をかくしているのが、見つかりました。
子供にキャラメルをやろうとしましたが、手を出そうともしません。
涙ながらに語る老婆の訴えをきくと、八十にもなる老婆がつかまって、二人の日本兵に犯され、
けがをしたというのです。言うべき言葉もありませんでした。 」
八十にもなる老婆がつかまって、二人の日本兵に犯され
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
どんだけ熟女フェチなんだよ!
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