過去ログ(2006.12.13〜2007.11.02)百件
2007年07月17−20日 南京事件FAQを斬る 4 1〜5
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「2007年07月09日 「南京事件FAQ」にネトウヨバリアーが(笑)」にて、
> 258. Posted by 2007年06月10日 16:30
> ところで↓を見てくれ。こいつをどう思う?
>
> 南京事件FAQ
> ttp://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage
>
> をクリックしてみたところ...なんと!
>
> プライベート認証
> 「南京事件FAQ」は特定のメンバーのみご覧になれます。
> http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/login/login
>
> ってヲイヲイ。
> ネトウヨバリアーが貼られてるじゃん(笑)。
と書いたんだが。
今一度、http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage を開いてみると…なんと!
新装された 南京事件FAQ が見れるじゃん。
というワケで再度検証に挑戦。
※ 先に言い訳しておくと、数日掛けてチマチマ検証したので、その間にサイトの管理者が更新した部分と齟齬が生じている
可能性があります。
また、当サイト(【魔窟の日々】)をこの南京事件FAQサイトの管理者が発見した場合、内容が大幅に書き換えられる可能性
もあります。
余程の改竄でない限り、基本的にイチイチ追いかけて補完は致しません(四十半ばにもなって、そんなエネルギーはな
い)。
※ ついでに書いておきますが、検証に日数を要したのは、私の遅筆だけが理由ではありません。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage を開く際、頻繁に「システムの混雑、またはエラーが発生しております。」
となって内容が表示されないのです。
開くにしても恐ろしく重い(遅い)し。 そこまで大人気のサイトなのかな。
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0. 「南京論争」の前に
●0-a. 南京事件の存在は実証されている
> 各論者が述べる「犠牲者数」となると万単位で幅が出てくるが、
> 事件そのものを否定するまともな研究者は一人も存在しない。
> 当然ながら日本政府も事件を否定する立場はとっていない。
Refutation(以下R):
日本政府が南京大虐殺について、否定論を採らないのは、外交上の配慮が理由。
南京大虐殺事件に関しては
(1)内容は戦勝国による敗戦国へのリンチに過ぎないとは言え、「東京裁判」によって南京事件が
「被害者数20万人の大虐殺」として有罪判決を受けている。
このリンチ裁判を操ったのが現在の同盟国である以上、下手な反駁は(あくまで同盟国への外交上
の配慮として)好ましくない。
(2)また、(1)を受けて1972年に田中角栄総理大臣が「日本側は、過去において日本国が戦争を通
じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」と発言。
国家元首としての発言である為、現在の日本政府はこれを撤回することができない(撤回したが最
期、諸外国から今後の日本政府の発言を信用してもらえなくなってしまう)。
…という理由があって事件を否定できないでいるダケの話だ。
この点は、従軍慰安婦問題に関する河野談話と同じである。
ちなみに各論の代表的なモノはこちら → http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html
●0-b. 何を虐殺、大虐殺とするか?
工事中
●0-c. 「南京事件FAQ」による事件規模に対する見解?
工事中
●0-d. 「南京事件FAQ」による30万虐殺説に対する見解?
工事中
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1. 人口問題関係
●1-a. 陥落時の南京の人口は20万ではなかった
> 南京戦が開始された時点で市内にいた民間人は40万〜50万であったと推定
> 南京の外国人たちは陥落時までに市民のほとんどが安全区に避難したと考えていた。
> 彼らの資料にある「20万」は安全区の推定人口であるが、それを南京の人口と見なしていたのであ
る。
> 実際は安全区の外にも市民は残っており、陥落後に安全区の人口が増加したことで外国人は認識
を修正している。
R:
ここで大切なキーポイントを押さえておきたい。
> 南京戦が開始された時点で市内にいた民間人は40万〜50万であったと推定
> 彼らの資料にある「20万」は安全区の推定人口であるが、それを南京の人口と見なしていたのであ
る。
> 実際は安全区の外にも市民は残っており、陥落後に安全区の人口が増加したことで外国人は認識
を修正している。
つまり、南京市内に40万〜50万人居たのだから、20万人超を虐殺しても安全区の20万人+α(移動し
てきた5万人)は残る。
だから、南京で20万人超の大虐殺は起こり得た...と。
少なくともココだけを読めば、南京大虐殺の被害者は南京城およびその近い周辺に居た人々だと思
えてしまう。
ところが、<1-c>でトンデモ理論が飛び出すことになる!
●1-b. 安全区外の南京城内は無人地帯ではなかった
> 「ニューヨーク・タイムズ」記者ダーディンは、日本軍占領直前の状況について
> 以下のように記している。
>
>> ニューヨーク・タイムズ記事(12月19日付)
>>
>> 一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと
思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。
>>
>> (『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p423)
>
> ダーディンは安全区の難民数を「10万を越す」とするなど、必ずしも正確な人口を把握していたわけ
ではないが、少なくとも安全区外に多数の市民が残っていたという認識を抱いていたことは間違いな
い。これは後年のインタビューにおいても確認される(同書p567-568)。陥落時に安全区外にいたとい
う中国人の証言も多くある。
R:
これも基本的に上述の「1-a」を追認しているに過ぎない。
●1-c. 南京城の周辺は無人地帯ではなかった
> 「南京市」の地理的範囲は「城内」だけでなく、城壁周辺の市街地(下関、中華門外、水西門外、江
東門など)と農村部(いわゆる郷区)も含む。
> なので「南京市の人口」を確認する場合は農村部まで考慮しなければならない。
> 結論からいえば、これら城外の地域が無人地帯であったというのは誤りである。
R:
ナンだそりゃ。
<1-a>で示した
> 南京戦が開始された時点で市内にいた民間人は40万〜50万であったと推定
の「市」を郷区まで含めるだって!
南京市を郷区まで広げると途方もない広さになってしまう。
東京裁判判決で使われた「南京とその周辺」という表現には「南京から二百中国里(約66マイル)」と
いう範囲が含まれている。
南京を中心とした半径100km超(66マイル=105.6km)ということは、単純計算でその面積は3万5千平
方キロになる。
この面積は実に台湾の面積35,980平方キロに匹敵する。
無人であるハズがない...し、40万〜50万人どころか、もっと居てもおかしくない。
「被害者数20万人以上説」を採る史実派は、南京市に居た市民で殺害された者は少なく、被害者の
大部分が南京市以外の江寧県など六県から成る広大な行政区に居た人々だと捉えているということで
ある。
だから、彼らに対して「20万都市で30万虐殺なんて出来っこ無い。だから南京大虐殺は捏造だ」と言
っても何の説得力も無いのである。
南京市以外の江寧県など六県から成る広大な行政区が対象となれば、殺される可能性のある対象
人数は一気に跳ね上がるのだから。
ところが、この視点に立つと他の部分で大きな矛盾を抱えることになるのだが...お楽しみは後回し
だ。 まずは、「人口問題関係」に関する他の記述を読んでみよう。
●1-d. 「20万都市で30万虐殺は不可能」論は欺瞞
> ■問題1:中国説以外を無視
> 日本の歴史学者による「南京事件(南京大虐殺)」の概説書では、殺害の犠牲者数として4万から
20万程度の数字が挙げられている。
> つまり日本国内の議論に30万という数字は出てこないのである
R:
日本の歴史学者の説でイイのか?
このFAQは20万人超説を支持しているんじゃなかったのか?
というか。
それは中国様に言ってやれよ。
侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館に掲げられているバカデカイ看板を知らないワケでもあるま
い。
30万人説(2007年現在40万人説)を謳っているのは、他でもないサヨが愛して止まない中国共産党サ
マだ。
(東京裁判の時は国民党だったらしいけどね)
> ■問題2:人口と地理的範囲のごまかし
> 南京の人口を20万とすることも初歩的なトリックである。
> 「虐殺」の地理的範囲とされるのは狭い場合でも「南京市」なので、人口も南京市のそれを基準とし
なくてはならないはずだ。
> しかし前の項目でも述べたように「20万」というのは「安全区の推定人口」に過ぎない。
> 安全区の面積は南京城内の1/8程度に過ぎず、そのうえ「南京市」の範囲は城内だけでなく城壁周
囲の広い地域も含むのである。
>
> 当初は安全区に20万人が集まったと推測されていたが、安全区に避難してこなかった住人も万単
位で存在したというのが外国人たちの最終的な認識だった。
> 陥落時の南京市全体の人口が20万ということはありえない。
R:
ここでは追認だけしておく。
この南京FAQサイトにおける南京大虐殺の定義は、
「南京市全体に居た大勢の内、安全区の20万人は無事で、それ以外の人たちが虐殺された」という
説である。
> ■問題3:中国軍の存在を無視
> 南京事件の犠牲者とは民間人だけでない。
> 特に「殺害」に限るなら、捕虜や敗残兵などに対する集団処刑が大きな割合を占めている。
> なので人口の観点から総虐殺数を推し量るためには、南京市民だけでなく南京防衛軍の数も考慮
しなくてはならない。
> 南京にいた中国兵の数は諸説あるが、最も多い説では15万人とされる。
> ■問題4:あやふやな数字の悪用
> そもそも、陥落前後の人口の足し引きで犠牲者数が求められるという考え方が大雑把すぎる。
> それらの数字には幅があり、数字の選び方によって10万単位で上下してしまう。
R:
「問題4」の指摘は、全く以ってその通り。
しかし、同じWGIPのホロコーストを否定する時に使う「ユダヤ人の定義すら異なる統計を足し引きした
600万人虐殺の根拠は無効」にお墨付きを貰えるとは思わなかった(笑)。
ちなみに、この発言は自爆である。
なぜなら「問題3」で触れられた「南京にいた中国兵の数は諸説あるが、最も多い説では15万人とさ
れる」が事実を捻じ曲げた捏造された数字だからである。
詳しくは、南京防衛軍の戦力(http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page005.html)をご参照戴きたい。
●1-e. 占領後に人口が20万から25万に増えたというのは嘘
> 「20万」や「25万」というのは城内の安全区にいた外国人の認識であるが、2月25日までは日本軍に
よって城門の出入りが制限されていた。
> 1月の段階で何万もの人口が城内に流入がするわけがないのである。
R:
上記の記述の後に自分でこう書いている。
> つまり「南京市の人口が増えた」ではなく、「南京城内で人口の移動があり、それを見て推定値を修
正した」というのが正しい解釈である。
南京城内で5万人規模の人口が移動出来たということは、少なくとも [ 安全区 ] ⇔ [ 安全区外の南
京城 ] 間で自在に移動することが出来たということを意味する。
安全区に25万人以上を残して20万人以上を虐殺するには、
(1)安全区,安全区以外の南京市内,南京市を除く行政区
…の3地域で虐殺された人数の合計が20万人以上。
(2)安全区,安全区以外の南京市内,南京市を除く行政区
…の内いずれか2地域で虐殺された人数の合計が20万人以上。
(3)安全区,安全区以外の南京市内,南京市を除く行政区
…の内いずれか1地域で虐殺された人数の合計が20万人以上。
であるが、安全区で虐殺が起これば安全区外に逃げるだろうし、安全区外の南京城内で虐殺が起こ
れば安全区に逃げ込む。
安全区を含む南京城内全域に渡って虐殺が繰り広げられれば、逃げる民は右往左往してパニック
状態になり、整然と社会生活が営めるハズがない。
(殺害される対象が「中国兵」に限定されていて、市民に「自分が殺されることはない」という安心があ
るなら、殺害が行われている現場でも社会活動が成立し得る)
つまり、南京城内で5万人規模の人口が移動出来たということが、即ち、
南京城内で殺害があったとしても、小規模であり、なお且つ殺害の対象が一般市民では無かった。
を示唆してしまっている。
ということは、どうしても20万人超の虐殺が行われたという論を押し通すのであれば、
「南京城内およびその付近において民間人の虐殺はなく、行政区の僻地で行われた」
とせざるを得ない。
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2. 大虐殺は不可能?
●2-a. 原爆なしでも大量虐殺は可能
> 「一軍隊」といっても南京攻略戦には10万の日本兵が参加している。
> 1人の兵士が10日に1度のペースで殺人を犯すだけでも、殺害数は1か月で30万になる。
> 銃器や刀剣などで武装した兵士が非武装の相手を殺す前提なら容易に達成できる「ノルマ」であ
る。
> そもそも歴史上の「大虐殺」で大量破壊兵器が使われた例がどれだけあるだろう。
> ルワンダの内戦でも100日間で80万人もの人間が虐殺されたというが、大量破壊兵器など使われ
てはいない。
R:
ルワンダ内戦の虐殺数には疑問の声が少なくない。
「100万人近い人間が虐殺されたはずなのに、ルワンダの人口統計指標は一旦1995年に170万人近
く下落した後に、なぜか2000年には200万人近く上昇し、元の上昇ペースに戻されている。このことから
全虐殺数に疑問を呈する研究者もいる。」wikipediaルワンダ紛争(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%
E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E7%B4%9B%E4%BA%89)より
また、共産化に伴う粛清は、体制に殺されたくない市民同士が疑り合い,密告し合い,殺し合うため、
一方的な殺戮とはシステムが根本的に異なる。
実際問題、南京城内で虐殺しない以上、20万人以上を殺すのはほぼ不可能だ。
南京城内なら城壁に囲まれているが、城外は何にも囲まれていない(広義には南側以外を揚子江に
囲まれているが)。
日本兵が民間人を殺して回っていると分って、尚も住居に住み続ける馬鹿は居ない。
当然、身を隠して潜む。 夜間に移動して兵団から距離を置こうとする。
おまけに南京城周辺は孤島ではない。
行政区は城壁に囲まれているワケではないのだから、行政区外に逃げ放題だ。
北および北西は長江に接している為、船が用意できなければその方面へ逃げることはできないが、
逃亡・潜伏可能な地域は驚くほど広い(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/map/tizu/
syanhai.gif)。
ココは揚子江デルタ地域と呼ばれ、その面積実に10万平方キロ!(http://72.14.253.104/search?q=cache:
Jg8Kbo7HuugJ:www.rise.waseda.ac.jp/proj/env/E01P72/j-E01P72.html+%E6%8F%9A%E5%AD%90%E6%B1%9F%E3%83%87%
E3%83%AB%E3%82%BF%E5%9C%B0%E5%9F%81E%E9%9D%A2%E7%A9%81Ehl=ja&ie=UTF-8)
これは、北海道の面積8万平方キロ強(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93)よりも
広い!
この広大な区域を逃げる標的を追い駆けて殺すのである。 それが如何に大変かは、容易に想像し
ていただけるだろう。
しかも、そうやって殺した民間人の死体を逐一処理しなければならないのである。
痛いニュースのコメント欄にも在ったが、一度テレビゲームの【メタルギアソリッド】をプレイしてみて欲
しい。
如何に「殺すことが可能だから殺せた」という論が馬鹿げているか理解していただけたことだろう。
ちなみに余談ですが。
これが原爆の破壊力。
http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
http://www.exploratorium.edu/nagasaki/mainn.html
そして、この破壊力をもってさえ、2発の投下で殺せたのが10万人強。
目玉かっぽじって良く見ろ。
●2-b. 当時の日本軍の弾薬量で大量虐殺は可能
> 南京戦を戦い抜いた第114師団の12月15日付の戦闘詳報によると、小銃・機関銃用の弾薬残数は
約380万発とされる。
> 1個師団だけでもそれだけの弾薬を保持していたのである。
> 南京戦に参加した兵力は9個師団以上だったのだから、全体では間違いなく数千万発のオーダー
に達する。
> さらに中国軍から鹵獲した銃器や弾薬もあった。
> 弾薬の量だけから見れば、数十万人を殺害する程度の余裕は充分にあったことがわかる。
R:
南京城内に居た市民が対象であれば、少数の弾薬で大量殺人は不可能ではない。
身動きできないように拘束していたというなら1発1殺が可能である。
この場合、20万人全員を銃殺したとして、必要な弾数は僅か20万発である。
しかし、標的が城内40平方キロを自由に逃げ回るとなれば話は別だ。
しかも、市民の中に平服に着替えた便衣兵が混ざっており、必ずしも一方的な虐殺になるとは限らな
い(撃ち返してくる可能性がある)。
こうなると、1人殺すのに銃弾を何発消耗するか分らない。
便衣兵が居なくて、一方的な銃撃であっても、不規則に動く標的というものは、簡単に当たるモノでは
ない。
そして、さらに問題なのは、今まで検証してきた結果から考えて、20万人以上が南京大虐殺で殺され
たのあれば、その殺害現場が南京市内である可能性が極めて低いということである。
そして、このFAQサイトの管理人が採る説は、今まで読んできた限り「南京城内およびその付近にお
いて民間人の虐殺はなく、行政区の僻地で行われた」である(としか読めない)。
南京市を除く行政区3万5千平方キロに潜む民間人を見つけて殺すのは大変である。
しかも、その行政区から揚子江デルタ地域へ逃げてしまう。
もちろん、火気を携行して反撃可能な敗残兵も居る。
一方的な狙い撃ちでさえ、動く標的には当たらないのに、何パーセント(何十パーセント?)の確率で
銃撃戦になるかも知れないのだ。
標的を見つけるや否や濃厚な弾幕を張って、殲滅するのであれば数百〜数千万発も銃弾を消費す
れば不可能ではない。
しかし、そんなことをしたら、軍がストックしている貴重な銃弾数の何割かが確実に消耗してしまう。
今後の戦略を考えれば、大切な火力を徒に消耗する馬鹿は居ないだろう。
戦争をやっているのだ。
南京が陥落すれば、恒久の平和が訪れるワケではない。
近い将来に必ず起こる戦禍に備えて、火力・機動力は温存するのが当然だ。
繰り返すが、「殺すことが可能だから殺した」という論は馬鹿げている。
それだけは認識しておかなければならない。
そして、アクション映画における「主人公の銃撃が悉く命中するシーン」は架空の絵空事であるという
程度の軍事知識は持って欲しい。
それは、南京が云々以前の一般常識である。
●2-c. 当時の日本軍は石油に不自由していなかった
> 南京戦の時期、日本はまだ石油に不自由していなかった。
> 「支那事変」においては日本、中国の双方が戦争ではないと主張していたため、両国とも戦略物資
を第三国から自由に輸入できた。
> また、南京戦直前まで南京は中国の首都であった。
> ガソリンスタンドが営業され、城外には徳士古(Texaco)石油などの石油貯蔵庫があった。
> 日本軍はこの石油、ガソリンを思うまま使うことができた。
> また、中国軍の施設にもガソリン、灯油が備蓄されていた。
R:
またか。
「可能だから行った」という理屈は通らない。
殺害目的で火を放つのならともかく、死体処理で野焚するのは非合理極まる。
人を燃やして、肉・脂を完全に炭化させるには、大量の熱カロリーを必要とする。
斎場で遺体が骨になるのは、耐火煉瓦に囲まれた焼却炉で加熱され続けるからである。
野焚の場合、燃焼熱の大半が上昇気流となって空の彼方へ消えてしまう。
20万人超の死骸を証拠隠滅の目的で野焚で灰にしようとしたら、燃料が幾ら在っても足らない。
(ホロコーストでさえ、ガス殺の後、野焚で遺体を処理したと主張する肯定論者は少ない(なさけないことに居ないワケではな
いが、さすがにバカだと思う))
●2-d. 殺されるのを順番待ちしていたというのは妄想
> 戦意を失った中国軍の敗残兵、投降兵、捕虜が大量に捕らえられた。
> これらは武装解除され、小集団に分けられて江岸、湖沼の岸、クリーク、城壁周辺などに連行され
て殺害された。
> 非武装の状態で武装した兵士に連行されるのだから、この場面でも逃げようがなかった。
> もちろん集団虐殺の前に逃げようとして殺された例も多くある。
R:
おや?
殺されたのは元中国軍兵士および便衣兵と誤認されてしまった不幸な民間人...ってファイナルア
ンサーでOKなの?
ちなみに念のために書いておくけど
> もちろん集団虐殺の前に逃げようとして殺された例も多くある。
は投降前の兵士はあくまで戦闘員だから、逃げようとした背中を撃ってもそれはノープロブレムだか
らね。
処刑して問題になるのは、投降済みの兵士と捕虜。
南京大虐殺が20万人超で、尚且つ被害者が投降済みの兵士と捕虜(および便衣兵と誤認された民
間人)だったというなら、その証拠を示す必要がある。
この記事は、当時南京に駐在していた外国人記者が残した「便衣兵処刑の現場について書かれた
記事」から想像した妄想に過ぎない。
●2-e. 大量虐殺に死体処理設備は不要
> 南京の場合、死体を処理する方法としては、大きな塚穴を作ってまとめて埋葬するということが多
かった。
> 日本軍が処理したケースでは大量に揚子江に流したものもある。
> これらには当事者、目撃者の日本人、中国人の証言があり、写真も残されている。
R:
なるほど。
では提示してもらおうか。
証言はどうでもイイ(ジョンベネちゃん殺害事件の自首からも分かるように、裏付けの無い証言は、たとえ容疑者のモノで
あっても信用できない)。
厳に当時の揚子江を写したモノであって、尚且つ数万体規模の遺体が撮影されている写真を提示せ
よ。
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3. 虐殺動機はなかった?
●3-a. 虐殺の動機はいくらでもあった
> 結論からいえば、虐殺の動機の中心は中国人に対する蔑視と憎悪である(現在の「中国嫌い」の
人々なら容易に実感できるだろう)。
> 戦争が起こったことによって憎悪はますます大きくなった。
> 中国人に対する蔑視が特殊な戦闘行動につながった。
R:
これが動機になると考える思想が怖い。
私もネトウヨの例に漏れず嫌中韓であるが、中韓の一般市民を虐殺したいなどとは微塵も思わない
(反日思想を持つ在日には出て行って欲しいと思うけど、「途中で難破して死ねばいいのに」とは思わない)。
このFAQサイトを書いた管理人の精神構造を疑う。
●3-b. 「虐殺命令書」など存在するわけがない
> 南京攻略の目的があり、攻略の命令書もあり、戦闘記録には捕虜殺害も明記されている。
> 日本軍は虐殺を目的として作戦したわけではないのだから、命令書に「虐殺をせよ」と書かれてい
ないのは当然である。
> 虐殺は日本軍の無計画さと組織性のなさから起こったと考えられる。
R:
銃も弾薬も天皇陛下からの預かり物として叩き込まれた日本国軍兵士が、勝手に数十万〜数百万
発の銃弾を消耗し、軍事作戦遂行に必要な物資を個人判断で浪費した…と本気で信じているのか?
これだから、会社組織で事務関係の仕事に就いたことがない学生さん(&大学教授)は困るんだ。
弾薬の補充にしろ、燃料の補充にしろ、請求業務には申請書類が必要だ。
もちろん、請求を申請する用紙には、理由の記入欄がある。
個人が遊興で浪費した弾薬や燃料,食料などを無条件に供給し続けていたら、軍が干上がってしま
う。
だいいち、戦略物資は需要と供給が厳密にコントロールされていなければ、戦争なんかできっこな
い。
いっぺん、ゲームの【大戦略】でもやってみろ。
●3-c. 日本軍は遊びではなく軍事行動として虐殺した
> 中国軍は南京防衛に主力を使っており、南京陥落の時点では中国軍の反撃は予想されなかった。
> 揚子江対岸にも日本軍が進出しており、城外の敗残兵も陥落後2日程度でほとんど殲滅されてい
る。
> したがって「敵軍に急襲されかねない緊迫した状況」なるものは存在しなかった。
> その後に行なわれたのは、安全区に逃げ込んだ中国兵の掃討であった。
> すでに抵抗の意志を失った敗残兵であったにも関わらず、日本軍は捕虜とすることなくただちにそ
れを殺害するという方針を貫いた。
> 否定論者はなぜか民間人だけを犠牲者と扱うことが多いが、虐殺の犠牲者の多くには中国兵が含
まれているのである。
>
> ここでは民間人(市民、農民)だけに話をしぼるとして、それらが集団殺害されたケースは以下の2
通りだろう。
>
> 1.敗残兵と入り交じって戦場を集団脱出している際に、まとめて殺害された。
> 2.いわゆる「便衣兵」摘出において、嫌疑を受けて連行、殺害された。
>
> これらは軍事行動としての位置づけであるから、日本軍は当然のことと考えていた。
> 決して「遊興」としての殺人ではない。
R:
この文章はミスリードを意図している。
> 虐殺の犠牲者の多くには中国兵が含まれているのである。
とあるが、投降していない兵士に対しては、たとえ逃げようとする背中を撃ったとしても戦闘行為中の
戦死でしかなく、虐殺数にカウントすることは出来ない。
「2-d」でも触れたが、この論で南京大虐殺20万人超説とするのであれば、
投降済みの兵士と捕虜および誤認された民間人の合計が20万人超であり、彼らが殺されたと
いうことが前提となる。
●3-d. 銃弾の節約よりも「敵」の殺害が優先される
> 実際に銃撃による大量殺害の記録が残っている以上、この類の主張はナンセンスである。以下に
最も有名と思われる山田支隊の例を挙げる。
> 山田支隊・歩兵第65連隊本隊
(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/66i.html)
> 山田支隊・歩兵第65連隊 第1大隊
(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/1daitai.html)
> 山田支隊・歩兵第66連隊 第2大隊
(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/2daitai.html)
> 山田支隊・歩兵第65連隊 第3大隊
(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/3daitai.html)
> 山田支隊・山砲兵第19連隊
(http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/hohei19.html)
> これらは捕虜の大量殺害を実行した日本兵の日記であり、ありもしないことをわざわざ書き込む理
由はない。
> 当然ながら戦後に偽造されたという証拠、口裏合わせをしたという証拠も存在しない。
R:
普通に疑問を抱かないのかな?
武装解除した捕虜を殺せば戦争犯罪だということは、軍属なら誰でも知ってる。
ということは、これら複数の日記が戦中に見つかったのであれば、敗戦色が濃厚となった戦争末期ま
でに燃やすなどして、完全に隠滅されていなければオカシイ。
逆に言えば、これらの日記が現存し得る可能性は
(1)日記はリアルタイムに書かれ、戦争終了まで個人が秘匿していた。
(2)日記は戦後になってから記憶を辿って書き起こされた。
(3)中帰連のプロパガンダ。
の3択しかない。
書かれている数字が1桁まで細かいので、(2)の可能性は消える(適当にデタラメな数字を書いた可能性は
残るが)。
となれば、残るは(1)or(3)である。
ここでもう一度同じ考察をしよう。
「武装解除した捕虜を殺せば戦争犯罪だということは、軍属なら誰でも知ってる。」
にも拘わらず、敢えてリアルタイムに戦争犯罪を記録し、戦争終了まで他人に見つからないように秘
匿し、戦後になって他人に見せた...というのか?
自分が戦争犯罪者として裁かれるかも知れないのに?
普通に考えれば(1)の可能性は極めて薄い。
日記の著者たちが揃いも揃って聖人君子で、「我が身が処刑されようとも皇軍の戦争犯罪を弾劾せ
ねばならない」と考えていた可能性もゼロではないが・・・。
私だったら、我が身が惜しいね。
ちなみに、こちら側の視点における「山田支隊が幕府山付近でとらえた捕虜に対する処遇」に関して
は → http://www.history.gr.jp/~nanking/reason06.html
(出典が田中正明の著作物だけに、サヨは全く信じないだろうけどね)
●3-e. 伝染病を気にするのは後知恵
> そもそも部隊単位の大量殺害は戦闘の延長という認識だったので、伝染病が流行るとかどうとか
は理由にならない。
> また個々の兵士の意志による小規模な殺害では、南京市全体に及ぼす影響など考えるわけもな
い。
> 実際に伝染病が危惧されはじめたのは、大量の死体が発生した後であった。
>
> 南京特務機関に勤務していた丸山進は、死体が腐敗して疫病発生の原因を作るから、気温の上
がらないうちに遺体の埋葬を南京住民にやらせようという指示を佐方繁木特務機関長が出した、と証
言している。
>
> 崇善堂堂長・周一漁の2月6日付けの書簡にも「今や春となり、気温が上昇してきております。 残
っている遺体を迅速に埋葬しなければ、おそらく遺体が地面に露出し、関係する公共衛生はまことに少
なくないと存じます。」とある。
R:
南京城内に死体を並べているのでなければ問題は無いんじゃないのか?
どの道、遺体が数百でもそのまま放置すれば腐敗して疫病の原因となるんだから、 [ 死体の腐敗が
問題視された ] = [ 20万超の虐殺があった ] は成り立たないよ。
●3-f. 民族と残虐さは無関係
工事中
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4. 南京安全区国際委員会関係
●4-a. 国際委員会は反日集団ではない
> 国際委員会を結成した外国人たちは、戦火に巻き込まれる前に脱出することもできたのに、わざ
わざ危険な南京に残留し、難民保護のために奔走した。
> これが人道精神に基づく献身行為であったことは明らかである。「反日」などという低俗な動機で行
なえるものではないし、そのように主張することは彼らに対する侮辱しか言いようがない。
R:
そりゃそうだろ。
国際委員会が反日集団だったら、とっくの昔に20万人超の虐殺実績を裏付ける資料が作成(=隙の
ない綿密な捏造)されているよ。
知る限り、「南京安全区国際委員会の外国人はいずれも反日思想の持ち主である」なんて主張は見
たことがないんだけど。
そんなバカなコト言ってるネトウヨなんか居るのか?
●4-b. 国際委員会の報告はいい加減な伝聞ではない
> 「伝聞」というと「街で流れているいいかげんな噂」であるかのように錯覚するが、外国人たちはいず
れも、被害者本人、目撃者などから直接「情報」を得ているケースが多く、「伝聞」であっても決して信憑
性の低いものではない。
> むしろこれは、「ヒアリング資料」という言葉で表現するべきである。
>
>このような「ヒアリング情報」の史料価値は、情報の内容、情報提供者が情報を得た状況、情報提
供者の資質などを総合的に勘案して決定されるべきであり、「伝聞」(ヒアリング)情報であるからといっ
て、一律にその信憑性を疑うのは適切ではない。
R:
いやいやいや。
もっと常識的な視点を持とうよ。
南京城も揚子江デルタ地域も中国。
日本軍は、そこへ攻め込んできた侵略軍(※)。
そして、南京攻略までに激戦が繰り広げられ、日本軍・中国軍ともに多数の死傷者を出している。
これは、そこに住んでいる中国人にとって痛み分けではない。
激戦に勝利して進軍する日本軍兵士は、夫を,息子を,父親を,恋人を,友人を殺した憎き仇だ。
何が悲しゅうて、日本軍兵士を善く言わなきゃならないんだ。
根も葉もないデタラメを吹聴して、日本軍兵士を悪者に仕立てようとするのは、遺された者の心理とし
て至極当然ではないか。
それを碌に検証もせず、「被害者本人、目撃者などから直接『情報』」だというだけの理由で、「被害
実績」として記録したモノが何故信用できると思うのだ?
>このような「ヒアリング情報」の史料価値は、情報の内容、情報提供者が情報を得た状況、情報提
供者の資質などを総合的に勘案して決定されるべき
だと言うなら、「遺された者の裏付け無き証言」というだけで全部アウトじゃないか。
※ 正鵠を期するなら、日本軍は侵略軍ではない(根拠URL→http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/The_Alleged%20'
Nanking_Massacre'002.html の上から3分の1ほど進んだ所にある【Subject2: The Invasion by China provoked Sino-
Japanese War 中国の侵略ではじまった日中戦争】を参照のこと)
ここでは、何も知らされていない中国人民衆から見た日本軍の姿として「侵略軍」と称しています。
●4-c. 国際委員会の報告は信頼できる
> 否定論者が完璧な記録性が欠けているから信頼できないとするのは代表的な資料否定の論理で
あるが、非常に詳細な記録がなければ事実ではないというのは誤りである。
> 記録したときの状況に応じて、資料に求められる詳細の度合いは異なる。
> そのとき日本外務省やアメリカ大使館を通じてアメリカ政府を動かすことができたということはそれ
だけの説得力を持っていたということである。
R:
<4-c>で説明した通り、夫を,息子を,父親を,恋人を,友人を殺されて侵略軍を憎んでいる民衆の
証言は、裏付けが得られない限りタダの醜聞に過ぎない。
また、記事を信用するかどうかは、読み手の資質に頼る部分が非常に大きい。
現実問題として、「当時の常識や当時の社会規範および法」に照らして一点の曇りも無い慰安婦問題
が、売国奴のデマゴーク論に翻弄された結果、アメリカ下院に決議案を出させるに至っている。
アメリカ政府を動かしたから正しいのではない。
記事が書かれた背景を考慮できないアメリカ政府関係者のオツムが空っぽだっただけの話だ。
まぁ、サヨにとっちゃ、南京大虐殺も従軍慰安婦問題も揺るぎ様の無い「真実」なんだろうけど(笑)。
●4-d. 国際委員会が報告する犠牲者は49人ではない
> 「暴行記録」の他にも外国人が残した文書は多数あり、「事件」もいろいろと記録されている。
> いずれにしても、外国人が見聞した範囲がそんなに広いわけではなく、「49人」は「氷山の一角」と
見るのが妥当である。
> 何よりその数字を導き出した板倉自身が、民間人犠牲者数を「五千から八千」と推定している。
R:
言わんとするコトは分からないでもない。
しかし、侵略軍に夫を,息子を,父親を,恋人を,友人が殺された民衆が恨みを込めた報告ですらた
ったの49人(57人)だったのである。
これを20万人超に膨らますのは幾ら何でも無茶が過ぎるとは思わないか?
●4-e. マギーが述べる殺人は1件だけではない
> 直接その瞬間を見たことが少ないから、その人が知っている事実がウソだということにはならない。
> マギーはほかの事件で何度も現場を訪れて死体を目撃したり、集団殺害の現場から逃げ帰った負
傷者の証言を聞いたりしている。
> それらをすべて無視し、直接見た殺人は1件だけだと言い募ってもまったく無意味である。
R:
「直接見た殺人事件が1件だけだから、南京で起こった殺人事件は1件である。」なんて主張している
バカウヨは居ないと思うが...
20万人超なのに目撃談が1件だけってのは、確かにオカシイけどね。
この証言のもっとも大切なことは、マギー自身が見た殺人事件は1件だけで、他が全て「伝聞」であっ
たということ。
ようするに「たった1件しか起こっていないというのは信じ難いが、他の事件に関しては証拠がない」と
いうこと。
南京市に居た住民全員が日本国軍に好意を抱いていたワケじゃないんだから、悪意のある風聞は
有って当然。
死体があるからといって日本兵の仕業と限らないし。
誰が殺ったか?は、ちゃんとした操作手順を踏んで調べないと分からないが、当時にそんなことをし
ている余裕は無かっただろう。
> 直接その瞬間を見たことが少ないから、その人が知っている事実がウソだということにはならない。
かも知れないが、全く同次元に
直接その瞬間を見たことが少なくても、何が何でもその人が知っている事実は全てホントウだ
ということには尚更ならない。
のである。
アタリマエだけどね(このアタリマエが通らないのがサヨの凄いトコロなんだよな)。
●4-f. ベイツは国民党の顧問でも手先でもない
> ベイツは国際委員会の中心メンバーとして精力的に活動していたので、その功績によって叙勲され
ても不審な点はない。
> 日本占領下においてベイツは難民救援を指揮し、金陵大学(南京大学)の副学長として、大学教育
の管理に尽くした。
> 日本の傀儡政権とのつきあいはあったにしても、中国人のために働いたのだから、叙勲されること
は何もおかしくはないのである。
R:
それでも、東京裁判で大虐殺を証言した1946年に、中国政府から勲章を受け取っているのはオカシ
イだろ。 常識的に考えて。
●4-g. 一枚の「感謝状」で事件を全否定するのは無理
比良の艦長が難民の窮状を見て艦の食料を与えたのは事実だし、ものを貰って感謝するのは当然
の礼儀であって、これは一つの美談ではある。
しかし戦場には人道行為をした人の記録もあれば、非人道行為が行われた記録もある。
非人道行為があったから、人道的行為がなかったことになる訳ではないのと同様、人道的な行いの
記録があることが非人道行為の不存在の証明にはならないのである。
R:
そうかな?
あまりにも酷い行為を続けている相手に対しては、形式上の礼儀であっても感謝を匂わす表現は使
わないと思うけどな。
自分の友人・家族を殺した殺人犯が、パンを恵んでくれたからといって「ありがとう」とは言わないだ
ろ。
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5. ラーベ関係
●5-a. ラーベは武器商人ではない
> 当時ラーベが所長を務めていたジーメンス社南京支社は、発電設備、電話、医療機器、警報装置
等の「民需」製品を取り扱っており、「兵器」を中国軍に販売した気配はない。
> そもそもジーメンス社は総合電機メーカーであるに過ぎない。ドイツから中国への武器輸出は、「軍
事顧問団」を通して行われており、ラーベとは無関係であった。
R:
「民需」製品を扱っていたからといって、「軍需」製品を売っていなかったということにはならない。
軍で消費する物は兵器だけではない。
発電設備、電話、医療機器、警報装置等も軍で使用する。
そして、それ以前の問題で
>> 米ハーバード大学教授ウイリアム・カービィによると同社もオランダの複数の会社を通じ、中国へ
武器を売っていたという。
>> 成城大学教授・田島信雄は「20年代のラーベは武器貿易にかかわったはず」とみる。
(http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page010.html より)
という指摘もあります。
●5-b. ラーベ日記の史料的価値は高い
> そもそも内藤氏の定義に素直に従うのであれば、ラーベ日記は「一等史料」もしくは「二等史料」に
分類されるべきものである。
R:
「5-a」に対する私のRefutationで、ラーベ日記への信頼度は地に落ちている。
参考リンク先(http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page010.html)全てにもお目通し戴きたい。
コレを「一等史料」もしくは「二等史料」というのは無理がありすぎる。
●5-c. ラーベは感謝状を送ってなどいない
> ラーベ(または国際委員会)が日本軍に「感謝状」を送ったという事実はない。
> 「感謝状」と銘打った文書、感謝文を主とする文書は存在せず、ある文書の冒頭に日本軍に感謝
するという文言が含まれているだけである。
> それを渡部昇一あたりが印象操作のために「感謝状」扱いするようになったようだ。
> 仮にこの文書が「感謝状」であったとしても、それを理由に南京事件を否定することは不可能であ
る。
> この文書の日付は1937年12月14日であり、南京陥落の翌日にあたる。
> 陥落から数週間に渡って続いた日本軍の不法行為が一般に南京事件とされているのだから、陥落
直後の「感謝状」を持ち出しても意味はない。
> (この文書を作成した時点では国際委員会も日本軍が秩序的に南京を統治するものと期待してい
た)
R:
確かに「ラーベは日本軍に対して感謝状を出している。『大虐殺』などありえない」は正しくないのかも
知れない。
しかし、端から大虐殺するつもりなら、始めから砲撃した方が手っ取り早かっただろう。
〜 6. スマイス関係 へ続く
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