
過去ログ(2004.07.23〜2005.11.26)約百件
2005年09月09日 勤めている老健施設において入所利用高齢者の転倒事故が発生
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本日昼前に、私が勤めている介護老人保健施設に於いて、入所されている要介護高齢者の転倒事
故があった。
いや、当該施設に於ける転倒事故そのものは、これが初めてではない。
ただ、今までは車椅子やベッドからズリ落ちるという格好で生じた転倒であったため、たとえ頭部を打
っても落下距離が短かかった為、大事に至らなかった。 しかし、今回は歩行補助具に寄り掛かって立
っていた要介護高齢者が、立位のバランスを崩し、歩行補助具ごと仰向けに倒れた為、その高齢者の
身長の高さから後頭部が落下して床へ強打してしまった。
その結果、その要介護高齢者は脳外科のある病院へ救急車で緊急搬送され、数時間後に緊急手術
を施される事になった。
状況はクモ膜下出血ということであるが、高齢者ということもあって術式は容易ではなく、数日中が
「ヤマになるだろう」との話である。
なぜ、このような事故が起こってしまったのか?
私の勤めている介護老人保健施設の職員が無能だったからか?
私の勤めている介護老人保健施設の職員配置が国の定めた基準を満たしていなかったからか?
私の個人的な見解は、それとは違う。
敢えて「有能である」と美辞を添えないが、私が事務員として勤める施設の介護および看護の職員
は、少なくとも要求される職能を十分に満たしていると思う。
また、(それは、職員の入れ替わりが激しいが故に職員の平均熟練度が低くなってしまい、その対応として職員を多く雇わ
ざるを得ないからに他ならないのであるが)私が事務員として勤める施設の職員配置数は、国の定めた基準を
大きく上回っている。
これは、起こるべくして起こった事故であると私は捉えている。
なにせ“要介護”という修辞句の付く“高齢者”である。 もし、我々(と書く私自身もう既に準高齢者の仲間
入り間近なのですが…)が立位状態からバランスを崩して倒れたとしても、余程泥酔していない限り、受け
身を取って頭部に掛かる衝撃を和らげようとする。 しかし、高齢者に於いては、運動能力が低下し
ており、上手く受け身をとることが難しい。 しかも、“要介護高齢者”とあっては、受け身など全く期待す
ることは出来ない。
おそらく、あたかもマネキン人形が倒れるが如くに、自身で何ら庇う行動を採らぬまま、後頭部を強打
してしまったのでろうと推察される。
この“雷管が火で炙られた爆弾”のような要介護高齢者に対して、国は、『利用者(=要介護高齢者)
3に対して職員1』を配置するように基準を定めている。 そう聞くと誰もが「要介護高齢者3人に対し
て最低1名の職員が24時間付いていてくれる」と捉えることだろう。 しかし、それは誤解なのだ。
まず、この基準には「常勤換算にて」とある。 この“常勤換算”という言葉は、介護保険用語なので一
般に馴染みが無いと思うが、要するに「たとえば年間1900時間働く職員を常勤と定めるのであれば、
(パート職を含めて)複数の従事者が合計で年間1900時間働けば、一人の常勤労働者とみなす」という
置き換えだ。 つまり、3人の要介護高齢入所者に対して、常勤換算で1名の職員が居れば基準を満
たしてしまうのである。
ということは…
そうなのだ。
国が定める職員の配置基準は、あまりといえばあまりにも少なすぎるのである。
簡単に計算してみよう。
施設に入所している要介護高齢者3名の1年間の生活時間を延べ数で計算すれば、(24時間/1日×
365日/年×3人で) 26280時間にも達する。 それに対して、常勤換算された職員1名の年間労働時
間は、(たとえば)僅か1900時間でしかない。 つまり、国が定めた基準に於ける入所利用者:職員=
3:1の比率は、実労働時間の比較に於いて 13.8 :1 というトンデモナイ数値へと乖離してしまうのであ
る。
今更結論を述べるまでもなく、たった一人で14人近い要介護高齢者の面倒を看るのは、物理的に不
可能だ。 したがって、目の届かない場所で、“雷管が火で炙られた爆弾”がドカーン!と行くのは仕
方が無い。 それを「介護および看護の不行き届きだ」と責めるのはお門違いなのである。
では、どうすれば良いのか?
ひとつの解決策は勿論、職員の配置増である。
しかし、介護老人保健施設は、その名の通り、介護保険法に基づく施設である。
であるから、職員の賃金等その運営費用は、介護保険法に基づいた収入から賄うしかない。
そして、介護保険法に於いて施設に払われる保険給付は、国が定めた職員配置に対する賃金を前
提としている。 ということは、施設側が利用者の安全を願って配置する職員を増やしても、保険給付
は1円も増えない。 したがって、施設側が利用者の安全を願って配する置職員を増やすには、最低
労働賃金に迫る凶悪な薄給で職員をコキ使う(もっとも、そんな施設に誰も勤めようとはしないだろうが)か、ある
いは、赤字で施設を経営して、近い未来に潰れるしかないのだ。
もうひとつの解決策は、雷管を炙っている火を消すことである。
ようするに、職員の見ていない所でベッドから降りようとしたり、職員の見ていない所で車椅子から立
ち上がろうとするからズリ落ちるのである。 ベッドに柵を廻らせたり、車椅子にベルトで固定したりす
れば危険は激減する。 また、受け身もとれない体で歩くから、転倒した際に頭部を強打して生死し
関わる大怪我を負うのである。 転倒して頭部を強打しても、脳挫傷やクモ膜下出血等の損傷を負わ
ないで済む様に、歩いて移動する要介護高齢者にはヘッドギアを装着すれば良い。
これは極めて当たり前のことだ。
我々がクルマに乗る際にシートベルトを装着することや、オートバイに跨る際にヘルメットを被ることと
何ら変わることはない。
しかし、これらは、福祉学という下らない理想論の屁理屈に於いては、“身体拘束”という人権侵害に
当たるのだという。 本人の意思に反して(そもそも施設に入所している要介護高齢者の半数位は、他人の顔も識
別できないのだから、何を以って『本人の意思』と称するのか甚だ疑問ではあるが)身体を拘束してはならないのだと
のたまう。
我々がルマに乗る際にシートベルトを装着することや、オートバイに跨る際にヘルメットを被ることを
拒否すれば道交法という法律に基づいて処罰される。 シートベルトやヘルメットは、“身体拘束”とい
う人権侵害ではなくて、施設に入所している要介護高齢者の負傷を未然に防ぐことは“身体拘束”とい
う人権侵害なのだ。 極めて腐った物の見方だとしか言う他ない。
こういう言葉がある。
「理想社会は、理想人のみの構成によってしか成立しない。」
理想は結構なことだ。
だが、そのために何が前提条件として必要なのかを少しは考えるべきである。
必要最低限の介護および看護が不可能な職員数しか許されない介護保険法の職員配置基準。
物理的な事故対策を阻む保健所監査官の理想論。
要するに八方塞がりなのである。
自分の親が、あるいは自分自身が介護保険適応者となり、そして、それが家族の労働の負担になっ
てしまった場合に、もし、施設入所を考えるのであれば、そこへ入れる(あるいは入る)ことは、上述の
危険について容認するのと同義であるということを理解していただきたい。
今回、私が事務員として勤める介護老人保健施設に於いて発生した転倒事故は、最悪の場合、死
亡事故、そうでなくとも不随を伴う要介護の重度化として民事訴訟の対象になるだろう。 しかし、これ
は現状の介護保険下に於ける介護保険施設では不可避な危険なのである。 未だかつて同様の事
故が起こったことのない施設でも、今後起こらないとは誰も断言できない。 そういう類の事故なので
ある。
この事故の被害者の家族に理解してもらえるとは思えないけど…ちょっと愚痴らせて貰いました。
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